第7回 エンディング あれこれ

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100歳以上の方が2014年9月の調査で、全国で58820人という。平均寿命は男性80.21歳、女性86.61歳で、世界で男性は3位、女性は1位。2014年に100歳になる人は3万人。癌やその他病気で亡くなる方が減ったのが平均年齢の伸びた理由と言う。小樽市は2015年4月の住民基本台帳によると65歳以上45225人、90歳以上2690人となっている。果たして100歳以上の方は何人になるのだろうか。

「杜のつどい」の講座に「終活サロン」があって、月1回高齢期の問題点などを勉強しているのだが、テーマは自ずと毎回頭を悩ませる問題が提起される。5月の講座は高齢者の住まいと長寿がテーマになった。第6回目のケアハウスで触れたが高齢になった時どこに住むかはとても悩ましい問題だ。無届ホームが増えていることも話題になったが、無届だから即悪質と言うことにはならないし、問題点があるにしても必要とする人がいて成り立つものだし、選択眼を持って考えなくてはね、という歯切れの悪いことになってしまった。周りではよく聞く「なんとかなる」という困ったことは後回しと言う考え方も、子供や親族が近くにいた少し前とは違い、これからは独居とか子供がいない場合は「どうにもならないよね。どうしたらいいのかね」という嘆きになってしまう。

寿命が延びて100歳が現実味を帯びて目の前に立ちはだかっているのだから本当はもっと真剣に考えなくてはならないと思う。70歳の人は30年、80歳の人は20年もあるのだから・・。

新聞のお悔やみ欄の年齢を見て、自分も同じような年齢で終れるのだ、という錯覚を持ってはいないだろうか?私自身どうもその傾向がある。100歳リスクとか長生きリスクとかを他人事として感じている節がある。エンディングノートを書いて安心していることはないだろうか。

ファイナンシャルプランナーの基礎にライフプラン設計がある。自分が歩いていた過去については経験上のアドバイスができるのだが、経験のない、事例がそれほど多くない未来のことについてはとても分かり難い。加齢により衰えていく機能、病気、ひいては認知症、そうした予測のつかない個人差のある変化にどう対処するのか。その変化を受け入れなければならないものなのか、ライフプランの意味を考えてしまう。